鉄人28号 白昼の残月 ショウタロウの正体(完全版)


 先日、アニメ映画「鉄人28号 白昼の残月」のオリジナルキャラクター、ショウタロウ兄さんについて解き明かそうと思い「『白昼の残月』ショウタロウの正体」と題して簡単な作品分析をしました。今回はその補足を兼ねてより深く金田ショウタロウについて考察していこうと思います。 前回の記事と重複する部分もありますが、興味がある方はどうぞ。

 なお、映画「鉄人28号 白昼の残月」と「あばれ天童」、「三国志」等の漫画についてのネタバレを含みます。 ネタバレが嫌な方は以下の内容を読まないで下さい!!

 では、はじめます!


はじめに(映画と本稿について)

  映画「鉄人28号 白昼の残月」(2007年)は、1956年『少年』に連載された横山光輝の漫画「鉄人28号」を原作とする同タイトルのアニメシリーズ「鉄人28号」(2004年)の映画版です。監督・脚本は、同じく横山漫画原作の映像作品「ジャイアントロボTHE ANIMATION -地球が静止する日」(1992~1998年、OVA)を手掛けた今川泰宏監督。

 2004年のアニメ版も映画も、戦後10年経つ日本に鋼鉄のロボット鉄人28号が現れ、戦時中に開発されたロボットや兵器が起因する怪事件に少年探偵である主人公、金田正太郎が挑むという前提は同じです。ただし、映画は原作漫画にもアニメシリーズにも出てこない、独自の要素が含まれています。そのひとつが、劇中で“残月”と呼ばれる映画オリジナルキャラクター、金田ショウタロウと萱野月枝です。

 本稿では、映画オリジナルキャラクター、金田ショウタロウと萱野月枝のふたりに焦点を当て、影響した作品や、映画に込められたメッセージ等を明らかにしたいと思います。


目  次

 1.ショウタロウ
  (1)ショウタロウとは、
  (2)ショウタロウと残月
  (3)ショウタロウと横山作品(さいごの山嵐、あばれ天童)
 2.萱野月枝
  (1)萱野月枝とは、
  (2)月枝と残月
  (3)茶と母の思い
  (4)戦争と月枝の覚悟
 3.戦争と残月
  (1)戦争の隔たりと「お富さん」
  (2)ショウタロウの戦後
 4.正太郎とふたりの残月
  (1)正太郎と犠牲
  (2)その答えをいつか私に…



1.ショウタロウ

(1)ショウタロウとは、

 映画は、東京で謎の不発弾が発見されるところから始まります。不発弾回収作業中の警官隊が怪ロボットに襲われ、金田正太郎と鉄人28号が応援に駆けつけますが、怪ロボット3体相手に大苦戦。そこへ、謎の青年が現れ、正太郎から鉄人の操縦機を奪い、あっさり3体を撃破してしまいます。この謎の青年が“残月”と呼ばれる一人目のキャラクター、金田ショウタロウです。


ショウタロウ

 ショウタロウは鉄人の操縦者となるべく訓練された特異な存在であり、残留日本兵であり、主人公の義兄であり、そして次々と起こる事件の犯人の内の1人でもあります。映画オリジナルのキャラクターなので、もちろん原作「鉄人28号」にも、横山光輝の漫画作品にも"金田ショウタロウ"という青年は出てきません。

 敷島博士と大塚所長から語られるショウタロウの素性は、正太郎が生まれる以前に正太郎の父、金田博士(アニメ版オリジナル) がなかなか正妻との子に恵まれなかったことからショウタロウを養子にし、鉄人の操縦者として育てたというもの。金田家で育てられたショウタロウは、太平洋戦争時に特攻隊に召集され、末期には南方の金田博士の研究所で鉄人操縦の訓練を受け、博士と共に行方不明となりました。

 その後、ショウタロウは戦死したことにされ、兄の存在を知らぬまま成長した正太郎は鉄人を操縦し、少年探偵として活躍。一方、戦後10年目にしてようやく復員したショウタロウは、正太郎に鉄人の操縦者としての資格を奪われた恨みと戦後復興に浮かれる日本への怒りから、鉄人と自作の操縦器と金田博士の負の遺産である不発弾(廃墟弾)を使って事件を巻き起こします。


(2)ショウタロウと残月

 ショウタロウが“残月”と呼ばれるのは、自身が得意とした敵機に奇襲をかける戦闘機の戦法を空に溶け込む残月に例えられ、特攻隊の仲間たちから“白昼の残月”とあだ名を付けられたのがきっかけです。

 ちなみに、同監督作品「ジャイアントロボTHE ANIMATION -地球が静止する日」にも白昼の残月という名のキャラクターが登場しています。「ジャイアントロボ」の白昼の残月は十傑集の一人で、横山光輝の「水滸伝」に登場する韓滔がモデルと言われています。

 2006年から『チャンピオンRED』に連載された「ジャイアントロボ地球の燃え尽きる日」(脚本今川泰宏・漫画戸田泰成)では、国際警察機構の林冲(モデルは「水滸伝」の林冲)と同一人物であることが判明します。さらに、作中ではジャイアントロボの“もう一人の操縦者”として登場しており、林冲は、顔だちも担う役割も、鉄人の“もう一人の操縦者”であるショウタロウと設定が近いキャラクターです。劇中で、ショウタロウの呼び名を白昼の残月とすることで、「ジャイアントロボ」のファンに十傑集の白昼の残月こと林冲を喚起させ、ショウタロウの操縦者としての使命や内面を暗示している点は大変面白い演出だと感じました。


(3)ショウタロウと横山作品

 ショウタロウに影響したのは、「ジャイアントロボ地球の燃え尽きる日」の林冲だけではありませんでした。横山光輝の太平洋戦争を舞台とした柔道漫画「さいごの山嵐」(『別冊少年ジャンプ』、1970年)の竜道寺達也二等兵や、学園漫画「あばれ天童」(『週刊少年チャンピオン』、1974年)の山城天童など、横山漫画の主人公たちの要素も積極的に取り入れており、主人公と同姓同名の異様なキャラクターでありながらも横山漫画及び「鉄人28号」の世界にも馴染むよう工夫が施されています。


① 「さいごの山嵐」竜道寺達也二等兵

 「さいごの山嵐」の主人公は、かつて麒麟児と呼ばれた柔道の天才竜道寺達也です。達也は、柔道で人を殺めたことを機に柔道を辞め、陸軍に入隊します。頑なに柔道をしないと言い張る達也に対し、期待を寄せていた部隊の教官や同胞たちは落胆し、達也に対して必要以上に厳しく接するようになります。その後、サイパン島で米国軍に囲まれた達也は、部隊で唯一心を通わせる友であった桂木上等兵を救うため、封じていた柔道の技を敵国兵士に繰り出し散ってゆきました。

竜道寺達也

 さて、ショウタロウと竜道寺達也をつなぐものは、イガグリ頭の見た目だけでなく、才能ある若者でありながら戦争の不条理の犠牲になる点です。「さいごの山嵐」の終盤、達也のおかげで無事に復員した桂木上等兵は、戦後25年の日本で「どんな理由があるにしろ戦争はいかん 才能のある若者が花もさかせずにちっていくんだからなあ」と語っています。

 なお、本作は先に書かれた同作家作品「こがらし大助」(1956年、「冒険王」)の設定を引き継いでいる部分が見られます。内容は、柔道の試合で友人の植村春夫に"柔道家としては再起不能"の大ケガを負わせてしまったことを機に柔道を辞めて帰郷したこがらし大助少年が、一郎青年や柔道家の鬼頭との出会いを通して、再び柔道にはげむようになるというものです。

 「さいごの山嵐」は、主人公が柔道の名選手でありながら、対戦相手の負傷をきっかけに自分の柔道に悩み柔道を辞めるという「こがらし大助」の設定を踏襲しながらも、才能ある若者が無残に散る戦争の不条理を描く考え深い作品となっていたのです。


② 「あばれ天童」の山城天童

 「あばれ天童」の主人公は若葉学園に転校してきた神童山城天童です。成績優秀、スポーツ万能、おまけにケンカの腕もピカイチで、転校早々不良たちをあっさり倒してしまいます。そのせいで番長連合という各学校の番長を束ねる学生組織に目をつけられ、喧嘩や事件に巻き込まれていきます。

山城天童

 ちなみに、登場キャラクターは「三国志」や他の横山作品のキャラクターに近いデザインが用いられており、真面目な性格で目や眉がくっきりした劉備玄徳タイプの主人公天童と対峙する番長連合のリーダー柚木が玄徳のライバル曹操にそっくりになっているなど、スター・システム的なキャラクター配置になっています。そのため、「あばれ天童」は「三国志」と比較して読むとなかなか面白い作品のひとつでもあるのです。

 さて、天童とショウタロウをつなぐものは、劇中歌「お富さん」と天童が家族を避けて興安寺に居候するきっかけです。歌謡曲「お富さん」(春日八郎、1954年)の歌詞は、歌舞伎「与話情浮名横櫛」(1853年)の〔源冶店〕の場面を唄ったものです。

 天童はもともと大手企業山城グループの御曹子で、聡明な実父、優しい義母、そして可愛い義弟喜春と仲睦まじく暮らしていました。ある日、不慮の事故で天童と喜春は大ケガを負い、天童は完治したものの、喜春は事故以来半身不随になりました。自分だけが助かってしまったことへの自責の念から悩み苦しんだ天童は興安寺に居候するようになり、時には悪童を演じたりしながら家族を避けて生活していました。

 一方、「与話情浮名横櫛」の主人公きられ与三郎は、もともと立派な大名に使える武士の息子です。大名家のお家騒動の後、子どものいない商家の養子になりますが、その後その商家には与五郎という実子が誕生します。商家の実子与五郎に気を使った与三郎は、わざと遊び歩いて悪童を演じた末、勘当されて木更津の親戚の家で謹慎状態になります。その後、お富さんと出会って、恋に落ちて…と、物語は続きます。

 このように、与三郎も天童も義弟のために悪童を演じる兄という点が共通しています。横山先生が歌舞伎「与話情浮名横櫛」を知っていたかは定かではありませんが、時代劇や歴史漫画を多く描いている作家でもあるので「きられ与三郎」をご存知だったのかもしれません。そう考えると、「きられ与三郎」と「あばれ天童」というネーミングも歌舞伎的な雰囲気を感じる気がします。

 さて、「お富さん」から「与話情浮名横櫛」と「あばれ天童」の共通点が分かったところで、「白昼の残月」の話に戻ります。与三郎と同様に金田家の養子となったショウタロウにもまた金田家の実子正太郎という義弟が誕生します。ショウタロウが正太郎誕生に立ち会ったり、成長を身近で見守っていたりすれば、与三郎や天童と同じように義弟正太郎のために金田家を離れる選択をしていたかもしれません。しかし、ショウタロウは戦争の隔たりと不条理によって戦後日本と義弟正太郎を憎むようになりました。


2.萱野月枝

(1)萱野月枝とは、

 次に、“残月”と呼ばれるふたり目のキャラクターは、復員したショウタロウが住むことになる共潤会アパートの管理人、萱野月枝です。月枝本人の説明によると、戦後になってからアパートに移り住み、管理人を引き受けたとのこと。しかし、物語が進むにつれて月枝がかつて金田博士の管理していた廃墟弾工場爆発事故の被害者だったこと、金田博士との間にショウタロウという息子を授かったこと、そして金田博士から移動型要塞大鉄人と大鉄人への入り口がある共潤会アパートを託されていたことが明らかになります。


萱野月枝


(2)月枝と残月

 月枝が“残月”と呼ばれるのは、金田家の幸せを願って自身の存在を隠す様を、金田博士が太陽から隠れて輝く残月に例えて呼んだことがきっかけです。月枝が自分の幸せや利益よりも、金田家そして後に養子へ行く息子ショウタロウの幸せを優先し、ショウタロウの出生も金田博士の妾である自分の存在も秘密にしていた結果、ショウタロウは両親のことも、正太郎が義弟ではなく腹違いの弟であることも物語の終盤まで知らずに過ごします。

 また、復員兵に変装をした月枝が金田家の遺産の横領を企む山岸弁護士を殺害する場面や、鉄人をショウタロウのものにするため正太郎を軍刀で襲う場面等で月枝が現場に残すビラは、自ら“残月”と署名しています。

 ちなみに、月枝の名前は、「鉄人28号 白昼の残月・完全徹底攻略本(シナリオ完全収録)」(REVOLTECH SPECIAL EDITION版DVD特典、2008年)によると、同監督のアニメシリーズ「七人のナナ」(2002年)の登場人物で、主人公の恋のライバル萱野月枝が由来だそうです。「七人のナナ」は横山作品に直接関わりはないですが、今川監督がショウタロウの母の名を萱野月枝と名付けた理由はおそらく金田博士と正妻、そして妾の立場である月枝の三角関係を暗示するためだと思われます。


(3)茶と母の思い

 ここからは、ショウタロウと月枝の人物像をより詳しく知るために親子関係に着目してみましょう。ショウタロウと月枝の親子に一番影響を与えた人物は、横山光輝版「三国志」(1971年、『希望の友』他)の劉備とその母親です。月枝と劉備の母、デザインもかなり似ているのですが、真面目で我慢強い性格など内面も共通点が見られます。

「三国志」劉備玄徳の母

 劉備の母の真面目すぎる内面が象徴的に現れているのが、「三国志」〔桃園の誓い 王者の剣〕(希望コミックス第1巻)の茶を川に捨てる場面です。働いた金で母のために当時かなり高価だった茶を買い、黄巾党に捕まる窮地を乗り切りながらやっとの思いで帰郷した劉備。茶を買ってきたことを喜んでくれるだろうという劉備の期待と裏腹に、母親は劉備が持ち帰った茶を川に捨てて劉備を折檻します。理由は、劉備が帰郷の途中で漢王朝の末裔であることを示す大切な刀を他人に譲り、物事の優先順位を見誤ったからです。

 この場面は、吉川英治の小説「三国志」(1940年~1946年、大日本雄弁会講談社)で劉備の親思いの性格を描写するため創作された話が由来です。ただし、劉備が決意を新たにした後、吉川版三国志の母は何度も繰り返しぶったことを劉備に詫びている一方、横山版の母は決意を父の墓の前で誓ってくるよう言い渡します。

 劉備の優しさと母への愛の象徴である茶を無残に捨て、折檻した後、父の墓前に向かわせる母親の姿は、一見、漢王朝の末裔であることに固執した厳しい女性のように見えます。しかし、劉備が立ち去りひとりになった後、横山版三国志の母もまた茶を捨てたことを詫びつつ川の畔で涙を流します。

涙する劉備玄徳の母

 身も心も百姓になりきり、漢の正統を再興するのに必要な大切な刀を簡単に他人に譲ってしまう劉備を導き、立派な人物に育てなければならないという母親としての使命を優先させ、心を鬼にして息子を叱った母ですが、根底に流れるのは息子劉備への深い愛だったのです。


(4)戦争と月枝の覚悟

 一方、月枝もまた息子ショウタロウを叱る場面があります。月枝は、“鉄人で日本を守る”という使命を見失ったショウタロウを叱り、日本の市場を牛耳ろうと企むベラネード財団の使者に占拠された大鉄人を処理させます。爆弾がセットされた大鉄人の処理をするということは、イコール命を捨てるということです。こっちはお茶や親子愛どころの話ではありません。

 なぜ、大鉄人登場という突然の危機に月枝が冷静に自分の息子を死に追いやる決断ができたのか、それは月枝に息子への愛情が無いからではありません。おそらく、ショウタロウを養子に出す直前に京都の寺の羅漢さんの下にショウタロウのへその緒を埋めた時から月枝は母親としての使命を強く自覚し、覚悟を決めていたためでしょう。

 戦時中の日本では、自分の子が戦地で死んで戻ってこない場合、遺骨の代わりにへその緒を埋めていたそうです。月枝にとって生きているショウタロウのへその緒を埋めるという行為は、単に息子を養子にやるというものでは無いと思います。これは、金田博士のもとで日本を守る使命を果たし、命を落とすかもしれないショウタロウを葬ったことにして、二度と息子に会わないと誓う月枝の強い覚悟から行った行為なのです。

 しかし、月枝の覚悟と裏腹にショウタロウは太平洋戦争で大した活躍もできぬまま終戦を迎え、戦後は正太郎が鉄人を相続したため操縦者の資格も失ってしまいます。そんなショウタロウに使命を果たさせるため、月枝は復員兵残月に扮し、正太郎が鉄人を手放すよう正太郎を軍刀で襲ったり、「ショウタロウに鉄人を持つ資格なし」というビラを現場に残したり、脅すようなこともしましたが、結局、大鉄人とともに息子ショウタロウを葬ることになってしまいました。

 ショウタロウが母の言いつけどおり大鉄人に向かった直後、月枝は先に負っていた銃弾の傷によって倒れ、後に生還したものの後遺症で記憶を失ってしまいます。 記憶を失った月枝はショウタロウが死んだことを知らぬまま、病院で“息子が復員してくる”と嬉しそうに語ります。本音よりも母親としての使命を優先させる真面目な性格のため息子を死に追いやったものの、記憶とともに使命を失った月枝に残ったものは離れて暮らす息子との再会を夢見る気持ち、つまり息子への愛情だったのです。

 このように、月枝も劉備の母と同様、息子への愛と母親としての使命との間で板ばさみになりながら戦う真面目で非常に我慢強い母親だったと思いました。


3.戦争と残月

(1)戦争の隔たりと「お富さん」

 さて、先にも述べたようにショウタロウと月枝どちらも同じ“残月”という呼び名を持つ親子ですが、戦後の生き方及び戦後の日本に対する考え方は大きく違っています。ここからは親子と戦後日本に焦点を当てて比較してみましょう。

 ショウタロウと月枝の隔たりを象徴するもののひとつは挿入歌「お富さん」です。ここで、映画のどのような場面で「お富さん」が使われていたのか振り返ってみます。

《劇中の「お富さん」使用場面》
① 戦友村雨竜作とショウタロウが再会を喜び握手しながら引用する「お富さん」
② 戦友との再会を祝してアパートで宴会をする際に流れる春日八郎の「お富さん」
③ 酔った村雨兄弟が合唱する「お富さん」
④ 月枝が夕飯を作りながら村雨兄弟と高見沢の歌につられて口ずさむ「お富さん」
⑤ 誰もいなくなったアパートに寂しく響く月枝の「お富さん」

 一見、①②③は再会の場面を盛り上げるため、④⑤は金田博士の妾である萱野月枝の立場を暗示するために「お富さん」が用いられているように見えます。ただし、ここで注意すべきなのは、①が歌謡曲の歌詞でなく歌舞伎の台詞の引用である点です。

 「お富さん」は戦後の歌なので、残留日本兵だったショウタロウはこの歌を知りません。それにもかかわらず、なぜ「お富さん」の台詞がスラスラ出てくるのかというと、おそらくショウタロウや村雨竜作をはじめとする特攻隊のメンバーが歌舞伎「与話情浮名横櫛」のきられ与三郎のセリフをもじって使っていたからだと推測できます。

 ショウタロウは、村雨竜作とセリフを言う一方、村雨兄弟の合唱は黙って聞くだけで、一緒に唄おうとはしません。歌としての「お富さん」を知っているか否かが、残留日本兵ショウタロウと戦後の日本を生きてきた月枝たちをはっきり隔てるものとなっているのです。そう考えると、歌を聴きながら一人黙って酒を飲むショウタロウの姿が何だか寂しいものに見えてきますね。


(2)ショウタロウの戦後

 先にも述べたように竜作や月枝たち「お富さん」が唄える人物は日本の復興の一部始終を見てきた人物です。戦争の悲惨さも、廃墟と化した日本を復興する人々の苦労も見てきた存在です。なので、たとえ自分の手に日本を変えるような兵器があったとしても日本に向けて使おうとはしないでしょう。 実際、村雨竜作は兵器関係のものを盗んでも悪用せずに壊してしまう人情派ギャングですし、月枝も大鉄人の秘密を知りながら自分のために使用したりはしませんでした。

 一方、日本復興の苦労を知らないショウタロウは母に諭されるまでずっと日本を憎んでいます。青春の大切な時間を戦争のために費やしたにもかかわらずその労力を終戦によって否定され、さらに操縦者としてのショウタロウの存在意義である鉄人を正太郎によって奪われたショウタロウは、心が廃墟のように荒んでしまいます。

 「鉄人28号 白昼の残月 公式徹底解析」(2007年)に、残留日本兵横井庄一氏の「帰ってくるんじゃなかった。贅沢に慣れすぎた日本人は、どこか間違っているのでは」というコメントが紹介されています。ショウタロウの戦後の日本に対する感情も横井氏のこのコメントに近いものだったのでしょう。

 怒りの矛先を日本に向けたショウタロウは、南方から帰国するため米国のベラネードに廃墟弾の情報を売り、操縦を乗っ取った鉄人で廃墟弾を掘り出し、結果、東京の広範囲を廃墟にしてしまいました。竜作や月枝のように兵器を手にしても使わない者がいる一方で、ショウタロウのように鉄人で事件を起こす者もいる。まさに「鉄人28号の歌」(作詞: 三木鶏郎、1963年)の歌詞、“良いも悪いもリモコン次第”、ロボットや兵器をどう使うかはリモコンを手にした操縦者次第というわけです。

 町が廃墟と化したことで戦後復興の苦労が瓦礫の山と化し、人々の生活の場が奪われたにも関わらず、廃墟を眺めながらショウタロウは思わず「美しい」と呟きます。復興の苦労を知らないとは言え、崩壊した町を美しいと感動するショウタロウはもはや戦後日本にとっての脅威、モンスターと言っても過言ではないでしょう。そう考えると、同姓同名の弟、正太郎と区別するため書籍や資料で一貫してカタカナで表記される“ショウタロウ”の名は、彼が日本の脅威である兵器やモンスターといった人間ならざるものになってしまったことを象徴し、無機物的な印象を放っているようにさえ思えてきます。


4.正太郎とふたりの残月

(1)正太郎と犠牲

 さて、前述の通り「三国志」や「お富さん」をヒントに、金田ショウタロウと萱野月枝の人物像を細かく見てきましたが、ここで気になってくるのが、ふたりの劇中での役割です。なぜ、月枝は劉備の母のように極端に我慢強い母親に、ショウタロウは日本に憎しみを抱く復員兵にならなければいけなかったのでしょうか?そして、鉄人と正太郎の物語にショウタロウと月枝の親子は必要だったのでしょうか?

 ショウタロウと月枝のふたりの役割の1つは、正太郎に“鉄人を持つ資格”について問いかけ、正太郎に鉄人の扱い方を改めさせることだと思います。

 2004年アニメ版の「鉄人28号」では当初、鉄人や父親の兵器開発に嫌悪感を抱いていた正太郎ですが、事件を通して「人とある以上鉄人は兵器ではない」、「鉄人の本質を決めるのは正太郎自身」、つまりロボットが兵器となるかは操縦者の責任であり、鉄人に罪は無いことに気がつきます。

 ただし、正太郎は鉄人の扱いを誤っていたことに気がつくことができたものの、最終話〔罪と罰〕でベラネードとビッグファイヤ博士の黒部ダム襲撃や鉄人に搭載されていた太陽爆弾の処理問題等の鬼気迫る状況を終息させるため、鉄人は犠牲になってしまいました。

 一方、映画ではオリジナルキャラクターのショウタロウが登場することにより“鉄人にふたりの正太郎(操縦者)”、鉄人の所有権という原作や今までの鉄人の物語には無い問題が発生します。山岸弁護士からは、空襲で戸籍を焼失し金田博士との親子関係を証明できないショウタロウに鉄人を持つ資格は無いということが説明されますが、自分より操縦の上手い兄ショウタロウの出現、そして自分の操縦に反して動き回り廃墟弾を掘り出す鉄人、復員兵に扮した月枝が現場に残した「正太郎に鉄人を持つ資格なし」と書かれたビラなどによって正太郎はこのまま自分が鉄人を操縦していて良いのかという疑問を抱きます。

 さらに映画の終盤、自分が無理やり廃墟弾を処理させたせいで鉄人が廃墟弾爆発の余波を浴び、装甲をボロボロにしてしまったことや、鉄人が欲しくてたまらなかったショウタロウの本心を知ることで、正太郎は鉄人を大切に扱っていなかったことを反省し、月枝に次のように語ります。

本当です、僕には鉄人を操縦する資格はありません。だって、兄さんは鉄人をあんなに大切に思っていたのに、僕は何も知らず、何も考えず、あんなことを…

 2004年アニメ版のように逼迫した状況で鉄人を犠牲にしてしまう可能性もあった一方、ショウタロウの存在やショウタロウと月枝の起こした事件によって、正太郎は鉄人を大切に扱っていなかったことを反省し、さらに太陽爆弾と同様に日本の危機になる可能性のあった廃墟弾はショウタロウが大鉄人とともに処理したことで鉄人を犠牲にする事態を回避することができました。


(2)その答えをいつか私に…

 劇中で鉄人を失う危機を回避したものの、「いいも悪いもリモコン次第」の鉄人が人間の手に余る存在であることに変わりはありません。ベラネードやビッグファイヤ博士、心が荒んだショウタロウのように悪意を持って操縦すれば、再び戦争の惨劇が繰り返されるかもしれません。

 映画「白昼の残月」の最後に、敷島博士の「君はそれを使ってこれからどんなふうに鉄人を操縦していくんだろうね…」という問に正太郎は答えます。

それは、僕にもまだ分かりません。でも、その時は鉄人を操縦するんじゃなく、命令するんでもない、僕と鉄人、いえ、2人の正太郎は今度こそ共に、この日本の時代の波に流し消されないよう、戦って、生き抜いていくつもりです!
だって残月はいつも僕たちを見てくれているから…


 鉄人を正しく使う答えをすぐには出せないものの、正太郎は残月(=ショウタロウと月枝の思い)を意識することで過ちを繰り返さないようにしながら、鉄人を犠牲にせずに生きる道をこれから模索してゆくのだと思います。つまり、ショウタロウと月枝は、正太郎に鉄人の扱いを改めさせ、正太郎と鉄人がふたりで歩めるよう導く重要なキャラクターだったのです。


おわりに

 長くなりましたが、いかがでしたでしょうか?「鉄人28号 白昼の残月」は見ごたえのある作品でありながら、横山先生が「新 仮面の忍者赤影」を連載していた頃に生まれた世代のせいか、一度見ただけではスッと理解できない難しい部分があったため、他の横山作品を読みつつ何度も見返しました。映画の見方、感じ方は人それぞれですが、横山光輝「三国志」の親子像、「お富さん」の意味、そしてショウタロウと月枝の役割について知っていただくことで、すでに映画を視聴された方も前回と違った楽しみ方ができるのではと思います。
最後まで読んでくださった方に心よりお礼申し上げます。

☆ ありがとうございました! ☆


追伸、2020年発行の同人誌「横山光輝瓦版vol.1」に〔映画「鉄人28号 白昼の残月」三国志とふたりの残月〕として、本稿の抜粋を掲載してもらいました。イラストも投稿してます!!


「横山光輝瓦版vol.1」

(2020/09/02ver)

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